行政書士の就職先

ハローワークに車の列。

まるで年末のガソリンスタンドだ。中は月末の銀行くらい混んでいる。

平日の昼間にこんな大イベントが行われているとは、勤めている時は想像もしない景色だ。

今日から私は、この世界の住人になる。

就職活動

プログラマーを退職し、まだ行政書士という資格に出会う前の話だ。

10社ほど履歴書を送ったが、すべて書類選考で落ちた。私は事務全般ができるし、officeソフトはaccessだって使える。たどれば、飛び込み営業からプログラミングまでやってきた。どこに落ち度があるのか。

作戦を変えて、ハローワークの相談コーナーで指導を受けてみる。

すると、「あなたは退職した会社が多すぎる」というアドバイスを受ける。

そんなことを言われても、「はい。じゃあ減らします」とは言えないではないか。正真正銘、くそアドバイスだ。

そう思った矢先、相談員が驚きの提案をする。「職歴を減らしてみましょう」。マジか。おい、その引き出しから、タイムマシーンでも登場するのか。

さて、相談員曰く、次に勤める会社が手続上で目にする私の職歴は、前職と前々職までだそうだ。

それ以前の公の記録は、よほどのことがない限り第三者は照会することができないようになっているらしい。

つまり、前々職より前の職歴は正直にすべてを書かなくてもバレはしないということだ。さあ、経歴を詐称するのか。悪魔のささやきだ。

子どもの頃の夢

さて、私の経歴は、遡ると、前職がプログラマーで、その前は介護の会社での2度の倒産だとこれまでのページで触れてきた。

実は、その前にも就職歴がある。ここで、話は脱線するが、私のルーツをたどってみよう。

私は、西南学院大学の児童教育学科を卒業した。教育を志した理由。それはプロフィールのページでも書いた私の独立気質にも通ずる。そう、私は人を引っ張っていくことが好きなのだ。

小学校1、2年の時の担任の古賀先生はギターを弾いて、いつもみんなで歌を歌った。クラスはいつも朗らかだった。

私は小・中・高校で、クラスで一番小さい方だった。『前にならえ』をする時、一人だけ違うあのポーズをする役職に、身体測定のたびに任命された。

体が小さいといじめに敏感になる。弱いものは標的になりやすいからだ。

私は人生において、幸い、いじめる側にもいじめられる側にも属せず生きてこられた。ただ、世の中にいじめというものがあることは知っていた。いや、周りにはいつもいじめがあった。

そんな私の目から見て、古賀先生のクラスにはいじめはなかった。私は古賀先生のような平和な世界を作れる人間になろうと教師に憧れた。

学生時代

教育学科で学んで知ったことがある。教育は、年齢が低くなるほど高度だということだ。

一般に、小学校の先生より大学の教授の方が専門的で立派なイメージがある。おそらく、給与の額もそれに相関しているだろう。

ただ、それに反比例するように、大学生を教育することより小学生を教育する方が難しいのだ。つまり、教育学的には、より幼い子への教育ほどそのレベルが上がるということだ。

『三つ子の魂百まで』と言われるように、幼い子への教育というのは、知識だけでなくその人格にまで影響を及ぼす。また、幼児となれば生命の保護まで担っている。大学生は少し目を離した隙に転げて死んだりするおそれはない。

知識だけではない、もっと高次の教育がそこにある。私は大学での学びの中、幼児教育を目指すことにした。

幼児教育は面白い。過ごした時間、与えた教育は、おそらくほとんどが児童たちの記憶に残らないだろう。ただ、潜在意識のようなレベルで、その記憶が体に染みつく。

子どもたちにたくさんの楽しい時間を刻み込み、その記憶から私はそっと存在を消す。

さて、私は幼稚園に教育実習に行った。そこで出会った主任の武原先生からスカウトを受け、卒業後、その幼稚園に就職することになった。

武原先生は朗らかで、絵にかいたような幼稚園教諭だった。私が理想とするどころか、何代にもわたり児童やその親から愛されていた。

私と共に採用された同期の教師は、幼い頃、武原先生の教え子として幼稚園生活を送り、憧れ、今、教師としてこの園に戻ってきた。

新卒の私にとって、武原先生は社会で最初の上司だ。恵まれてる。

私の人生は、幼稚園を辞めいずれ行政書士の道へ進むのだが、行政書士となって10年目を迎える今でも、武原先生とは交流を続けさせていただている。

幼稚園教諭になる

これまでのページで、私はプログラマーとしてブラック企業に勤めてきたと書いた。そこでの睡眠時間が3時間なら、幼稚園教諭時代の睡眠は2時間だった。

教師は忙しい。昼休みもない。子どもが降園した後は、明日の準備と次のイベントの準備がある。園外保育の予定があれば、下見へ行き、危険箇所を洗い出さなければならない。

そんなことよりまず、今終わったばかりの一日の記録だ。これがないと、1年間の通知表も月末の園だよりも、妄想で埋めるしかなくなる。

保護者からの連絡ノートにも返信しなくてはいけない。「うちの子、先生のことが大好きみたいです」みたいなノー天気なものには朗らかに、薬を持参した子や昼食にアレルギー食品が出た子には整然とした文章を選ぶ。

午後の記録を見ると、アレルギー表とおりに給食を配膳していた。忙しすぎてとうに記憶はないが、昼間の私はちゃんと働いていた。褒めてあげたい。

いつも精一杯が強いられる背景には、近年のモンスターペアレント問題がある。常に『全保護者の満足』をキープすることに平穏がかかっている。この表面張力が崩れると、モンスターが大洪水を起こす。

幸い私のクラスにはモンスターは現れなかった。ただ、おそらくそれはモンスターがいなかったからではない。モンスターは社会のどこにでも潜んでいる。洪水予防の大型ダム建設、これが、睡眠時間2時間の賜物だ。

その結果、私の顔には吹き出物が溢れ、髪は人生初のロン毛になった。まぶたは赤く腫れ、明るい方を見るたびに涙が出るように生態が変化した。そろそろ、新種の図鑑に載ってしまうかもしれない。

これを耐えられたのは何故だろう。今それを考えれば、答えは一つ、『若さ』だ。若いって素晴らしい。

なお、この重労働には幼稚園側の言い分もあった。「あなた達には夏休みを与えているでしょう」だ。

確かに、幼稚園には1か月以上の夏休みがあった。その間、出勤の必要もない。一般の会社ではあり得ない、バカンスだ。

ただ、夏休みは、持ち帰りの仕事で溢れている。ここで2学期、3学期の準備をしていないと、9月からの睡眠時間は0どころか、時空を歪めてマイナス値で表さなければならない。1日を24時間から26時間にでも延ばしたいが、望みのアインシュタインはもうこの世を去っていた。

また、人の体は『寝貯め』ということはできないらしい。間違いない、ホンマでっかTVでやっていた。8月31日までの睡眠貯金は9月1日で尽きるのだ。

思えば、4月に入社し、5月の連休にはもう気持ちが切れていた。それでも1学期は気力で乗り切ったが、2学期以降は何の原動力で乗り切れたのか自分でもわからない。これがドラゴンクエストなら完全なバグだ。ヒットポイントもマジックポイントもゼロの状態で生き続けた。

言えるとすれば、『受け持った子どもたちを放棄してはいけないという責任で、学年が終わるまでがんばった』ということだ。また、武原先生がいつも助け舟を出してくれることも支えだった。

私にとっては、これが、社会に出てから初めての職場だった。

1年間はがむしゃらに耐えたが、もし、『これが社会で働くということ』ならば、働き続ける能力は私にはないと思った。社会とはそうなら、私は不適合者だ。

充電期間に入る

1年間の壮絶な幼稚園教諭生活が終わると、私は抜け殻になった。

これまで教育しか勉強してこなかったが、教師をするという覚悟はへし折れていた。

それに、教師をやるにしても、新年度が始まっている4月の段階で、正職求人などもうない。

気が付くと夏になっていた。「もう働きたくない」と体は動かないが、目減りする貯金残高が刻々と現実を突きつけた。

そんな時、教育系の求人フェアが開催されることを知った。時節柄、非正規の求人ばかりだ。

ただ、福祉・教育系の施設が一堂に会するその会場では、私が今まで目にして来なかった種類の求人と出会うことができた。障がい児保育や障がい者施設などのスタッフ募集だ。

そして、私は重症心身障害者の小規模作業所で働くことになった。

さて、重症心身障害とは、コミュニケーションが全く取れなかったり、口にチューブを着けているなどの状態だ。一般人が関わるには、なかなかハードルが高い。

大学が教育学科だったのでクラスで重症心身障害の施設を見学したこともあったが、午前中に見学した後、多くの学生が昼食が喉を通らなかった。そんなことを思い出す。

これまで障がい者という世界に触れてこなかった人にとっては、異次元の空間がそこにはある。

私もそれまで身近に障がい者がいなかったので、初めは、戸惑いがあった。車いすを押すのも初めてだった。

ただ、そこでは、とにかく時がゆっくり過ぎていた。

また、大学で行かされる見学と自分の足で通う職場では、『修学旅行で行かされる京都と、社会人になって自分で行く京都』くらい景色が違った。

障がい者、健常者という壁は世の中にはなく、皆が同じ日常を生きていることを知った。

時給700円の非正規採用だったが、そこで学ぶことは多く、空っぽの気力が充電されていくのを実感した。

しばし、ここで充電させてもらうことにした。

私の体は、こうして充電されていきました。

そして、私の人生は、これまでのページで紹介してきたとおり、次に、介護業界への就職へとつながっていきます。

つまり、私の職歴は、幼稚園教諭、障がい者施設、介護、介護、プログラマーを経ての行政書士開業です。

いやはや、話がかなり脱線してしまいましたが、行政書士の求人の話に戻りましょう。

行政書士の求人

「職歴を減らしてみましょう」。ハローワークでそう指南を受けた。軽犯罪法は抹消されてしまったのか。安否が気になる。

ただ、背に腹は代えられない。悪魔の儀式に手を染める。私は、自分の経歴を、卒業後すぐに介護業界に入ったことにした。履歴書から幼稚園教諭と障がい者施設の過去が消えた。

その甲斐あってか、書類選考が通るようになった。

世の中はわからないものだ。『教育や福祉の世界を知っている』この経験がない方がよいなんてことがあるのか。私の息子にこれを経験させられるのなら、私なら、お金を積んででも経験させたい。

さて、面接には漕ぎつけたが、何社受けても受かることはなかった。悪魔の儀式だけが黒帯になった。

ただ、ちょうどこの頃、行政書士の資格と出会い、行政書士の勉強を始めることになった。そして、ハローワークにしばしの別れを告げた。

夏が過ぎ、年が明け、私は行政書士試験に合格した。

そこでまず考えたことは、行政書士として就職するということだった。

私はサラリーマンしか経験がない。両親も同じだ。また、そうやって家庭を守り抜いてきた自負もあってのことだろう、サラリーマンこそが成功への堅実な道だと聞かされて育った。誰の気持ちにも、自営業を選択できる土壌がなかった。

さて、ハローワークに通っていたおかげで、行政書士の求人が皆無ではないことは知っていた。2週間に1度くらいのペースだが行政書士事務所の募集を見かけた。まずはその道に賭けることにした。

履歴書から過去を消すことはもう何の躊躇もなかった。私は一人前の悪魔だ。

これまでと履歴書が違うのは、資格欄に『行政書士試験合格』と書けることだ。

ただ、その甲斐もなく、行政書士事務所の求人では、書類選考さえ何度も落ちた。ものすごい倍率のため、求人が出た当日に募集が打ち切られることもあった。事務系の仕事は激戦だ。

ここで、少し冷静になって、その待遇面を振り返る。

そこで気づくが、ほどんどの募集が月給15万円以下の事務員募集だ。一人前の男が家庭を支えるために働く仕事ではない。

とはいえ、私にはこれしか道がない。両親も、「開業するくらいなら月給15万円でも定職に就いた方がいい」とアドバイスしている。我が家は哀れで熱心なサラリーマン信者だ。

そんな時、ある行政書士事務所の求人で、面接のお呼びがかかる。月給13万円の事務員募集だ。

これを射止めてどう人生が大逆転するかはわからないが、がんばるしかない。

行政書士事務所の面接

面接予定の事務所をネット検索してみた。福岡県行政書士会の中でもしかるべき立場を務めていらっしゃる先生の事務所らしい。

そんな立派な先生の事務所でぞんざいな扱いを受けるはずがないと思って行ったら、まさかの、ぞんざいな扱いを受けた。

まず、「今日はちょっと時間がないから、2人まとめてでいい?」という言葉から始まった。美容室の最後にぶっかまされる「こんな感じでよろしかったでしょうか」と同じだ。NOと言える余地はない。

そして、私は、50代くらいの男性と2人で面接を受けることになった。それにしても、何故わざわざ、やっつけ仕事をアピールしてくるのか。「今日は2人ずつ面接をさせてもらいます」だけでいいではないか。

次に言われたのが、「あなた行政書士資格を持っているみたいだけど、うちは普通の事務員がほしいんだよね」である。

いや、私はそれを承知で月給13万円の事務員募集に応募している。「行政書士としていっぱしに雇ってください」なんて一言も言っていない。

そこから、さらにエスカレートする。「うちは今、事務員は女性ばかりだから、男性で入るんだったら、自分の稼ぎくらいは営業して取ってきてもらわないと困る」。もはや意味不明だ。理由と結果の因果関係がわからない。

そして、次の言葉は極め付きだ。「自己破産とか、弁護士法に抵触するようなこともやってもらうよ」だ。倫理のかけらもない。いや、もしかして私は会場を間違えて詐欺グループの面接のドアをノックしまったのかもしれない。

その言葉に難色を示していると、トドメの言葉が飛んできた。「あなたみたいな人より、社会で場数を踏んできた隣の方がよっぽど使えるね」、「あなたみたいなまじめなタイプは、行政書士になってもうまくいくはずがない」だ。

行政書士会でしかるべき立場にある先生がこんなレベルかと思うと、悲しさが溢れた。私が苦労して目指してきた道の先には光がないのかもしれない。

求職者は皆、肩身が狭い。収入がなく、藁をもすがっている。私は、介護センターの雇われ店長をやっていた時、採用の仕事も任せてもらった。

面接にくるヘルパーさんには、常識知らずの若者や、話に要領を得ないおばあさん、それこそ、片言の外国人もいる。

私はそこで上司から、どんな人にも丁寧に対応することを教わった。会社の名前を背負って行う行動は、すべて会社の信用につながる。

士業は閉鎖的な世界だ。そこで「先生」なんて呼ばれていれば、勘違いしてくる部分もある。この世界は、一般の社会より、ずっと遅れているのだろうか。

まあ、「だったら書類選考の時点で落としてくれよ」とは思うが、この先生ははなからから私を採用するつもりがなかったのだろう。ここで言われたことも、私を落とすためにあえてついた方便なのかもしれない。

はたまた、世に言う『圧迫面接』に、私が対応できなかったのかもしれない。

ただ、その帰り道、私は、自分で行政書士を開業することを決めた。

さて、弁護士法の話が出てきましたが、誰かのもとで働く場合に気を付けたい、職域の話があります。

例えば、上司から、行政書士ではできない分野の仕事を命令されたらという話です。

ここで、私の経験を紹介し、職域と就活についてお話したいと思います。

職域を超える求人

開業3年目くらい。ちょうど行政書士として軌道に乗り始めてきた頃の話だ。

熊本県の行政書士が、はじめましてで私に電話をかけてきた。業務提携の話だ。

現在、私はそういった話はすべてお断りさせていただいているが、当時はまだ仕事が少なく、彼の話に興味がわいた。

彼は開業間もないが、これまで税理士として税理士事務所に長年勤務してきたベテランだった。年も、私より一回り上だ。

さて、彼はこれからコンビニ専門の税理士として展開していきたいと展望を語った。全国、犬も歩けばコンビニに当たるのに、コンビニ経営に明るい税理士は少ないらしい。

いずれにしても、税理士というのは顧問契約を取ってなんぼの仕事だ。そして、その顧問契約の入り口で彼がお客様に配ろうと考えた飴が、免税だ。

事業者は、開業から2年間は消費税を納めなくてよいというルールがある。この2年が4年になるとしたらどうだろうか。消費税を納めなくていい期間が2年延びるのだ。そして、これを可能にする方法が法人成りだ。

法人成りとは個人事業から法人に組織変更することであり、個人事業を行っている者なら、株式会社などを設立することで誰でもできる。

これを行うと、個人事業開業からの2年と、法人設立からの2年の計4年間が免税の対象となる。全国には個人経営のコンビニがたくさんあり、この話に乗るものも多いだろう。

ただ、これを行うには、まず大きなネックがあった。酒類販売業免許だ。コンビニはこの免許によってお酒が販売できている。

個人事業から法人へ組織変更をする場合、コンビニの酒類販売業免許は一度失効し、法人名義での再取得となる。その手続き代行に行政書士が必要なのだ。

私と彼は、協力して、個人事業のコンビニを法人化するプロジェクトをスタートすることにした。

ここで、大きな問題がある。法人化だ。

私も彼も、職域上、法人設立ができない。行政書士が法人設立業務を行うこともあるが、その場合できるのは定款などの作成までだ。登記申請を代行するのは司法書士法違反だ。

ところが、彼は、私にその登記申請まで行うように求めてきた。そして、その時、このプロジェクトは決裂した。

私は適正に司法書士を入れるよう提案したが、コンビニ事業者にその分の報酬負担を強いるのは、彼にとっては、練り上げた飴のうまみを大きく削ぐものだった。

この登記申請の代行は賛否が別れる。『報酬をもらわなければ行政書士がやってもいいのではないか論』もある。

ただ、その是非より、私は、彼の言いなり働かされるのが嫌だった。そういうことが嫌で、独立開業したのだ。

さて、これと同じ問題が、行政書士での就職でも起こる。

私がハローワークで見かけた求人には、少ないながら、行政書士資格者としての求人もあった。

ただ、そこで見かけるものにこれと同じ類のものがあった。『法人設立のため行政書士求む』の税理士事務所などだ。

あなたは上司から「職域外のことをやれ」と言われたら、断ることができるだろうか。おそらく、雇用関係の構造上、それを毅然と断われるのは余程ハートの強い人か、不器用ですからの高倉健くらいだ。

これを考えると、職域という曖昧な世界で生きる士業にとって、資格者としてよい就職先に入るためには、人格者のもとに就職するしかない。悪いが、その可能性がどれだけあるだろうか。

ハローワークの資格者求人を眺めながら、私は就職への希望を捨てた。

このページで書いたように、行政書士の就職には好材料が少ないものです。おさらいをするならば、次のような感じでしょう。

まず、そもそのも求人数がとても少ないです。しかも、その少ない求人のほとんどがパートの事務員的な募集となっています。

次に、行政書士資格者募集にはいかがわしいものが多いという点があります。これは、職域という性質上、起こり得やすいのです。

なお、『司法書士事務所に行政書士として入る』など、きちんとした求人を射止めている方も少なからずいらっしゃいます。ただ、それはごく稀な話です。

そういう方は、その方自体がとても優秀であったり、かなりの幸運を持っているのだと思います。ハローワークで惨敗していたような私では、到底およびません。

また、そうやって就職した方でさえ、本当に就職組と呼べるかはわかりません。というのも、そうやって就職した方の多くは、就職先で下積みを積んで最終的には独立をするからです。

苦労して取った資格で責任を負って働き、またその上で、士業事務所の売上高などを目にすると、絶対に、安く雇われていることが割に合わなくなってきます。

ちなみに、資格ガイド本などには『行政書士として一般企業で働く』ということが書かれてしますが、実際、そのような行政書士を見つけるのはイリオモテヤマネコを見つけるくらい難しいことだと思います。

それと、今一度確認しておきたい大前提があります。前のページで触れた通り、就職して働く場合でも行政書士登録は必要になるということです。

つまり、行政書士として就職するためには、行政書士試験の合格、行政書士会への登録料30万円、その後ずっと支払い続ける月額会費8千円程度が必要なのです。

有資格者だからといって高収入の求人がある訳でもないですし、単純な話、『一般企業より、月収マイナス8千円』の世界が待っています。

それに、万一、そこまでして入った事務所を退社してしまった場合はどうでしょう。その後、無職期間でもこの月額は納めなければなりません。

そうなると、きっといつかは開業に踏み切るタイミングが訪れますし、つまりは、やはり、行政書士は独立開業型の資格だと思います。

さて、次のページでは、いよいよ行政書士の開業後の現実についてお話したいと思います。